その旅館は、楽園のように思えたし、女中(メイド)たちも天女のようだった。これは、条約による五開港のうちの一つの長崎から逃げるように帰って来たばかりだからであった。というのも、当初、そこで「改良物」ですべて調えられたヨーロッパ式のホテルでの快適さを、私が敢えて求めようとしたからだった。それだけに、ここで浴衣を着て、くつろぎ、ひんやりした座布団に座り、よろしき声の女中たちのもてなしを受けて、美しい調度品に囲まれているのは、一九世紀のあらゆる罪悪から救われた気分だった。朝食には筍と蓮根が出て、また宿泊の記念にと団扇(うちわ)が配られた。団扇には、海岸に打ち寄せる大波と青空から歓喜して獲物を狙う海鳥が描かれていて、眺めていると旅の難儀さを忘れるようであった。それには、光の輝きと動きの一刹那、それに海風の勝利が、すべてこの一枚に描かれているのであった。これを見たとき、あっと叫びたいと思ったほどである。
「夏の日の夢」小泉八雲 Lafcadio Hearn 著(青空文庫より)
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